英語を使ってしたいこと、特にないかな…と思っていたけれど、あった。
今週のお題 もしも英語が使えたら
わたしは、日本の中学校で習う範囲の英語だったらできると思う。
簡単な文法で、簡単な単語を使って文章を書くとかならできるかも。
でも、実際に話をするとか、相手の話を聞き取るとか、ニュースを見て情報を得るとかは難しいと思う。きっとスピードについていけないし、単語がわからないだろうな。
そう考えると、やはりわたしは「英語が使え」るという状態ではないな、と改めて思う。
もうちょっと英語に興味を持ってみてもいいのかもしれないけど、どうかな。
「もしも英語が使えたら」何をしたいか、とりあえず考えてみると、次の3つが浮んだ。
したいこと①②③
① 外国へ旅行に行くことを考えやすくなるかも。
② 外国にルーツを持つ人など、日本語より英語の方が使いやすい人に会ったときに、会話をしたい気持ちが少しある。
③ 英語のニュースを見たり、新聞を読んだりできたらかっこいいなとは思う。
順番に、中身を考えてみる。
したいこと① 外国へ旅行に行くことを考えやすくなるかも。
いつになるかはわからないけれど、コロナ禍が収まったら、行きたいところがある。
ひとつは、韓国。わたしは高校生の時に2度、韓国に行ったことがある。ありがたい経験をさせてもらっていたものだ。また行きたいなと思う理由は、ごはんがおいしかったから。甘辛い味付けの料理がいろいろあって、とってもおいしかった。ビビンバ、プルコギ、トッポギなどなど。わたしは韓国料理がとても好き。また食べに行きたいな。
もうひとつは、台湾。こちらは行ったことがない。台湾もごはんがおいしそう。親しい人に、台湾に行って良かったという人が多いのも行ってみたい理由のひとつだ。また、台湾は日本と関係が深い。詳しいわけではないけれど、歴史も少し知りたい、踏み込んでみたいなと少し思う。
じゃあ、韓国の言葉、台湾の言葉を勉強したらいいのかなという気もする。それもいいなとも思う。ただ、それに加えて、英語がもう少し使えたら、フットワークをもう少し軽くできる気もするのだ。いままで少しは学んできた言語だから少しだけとっつきやすいし、使える人が多い言語だろうし。
ことばを自由に使えると、フットワークが軽くなる気がする。ことばが自由に使えたら、困ったときに人に話しかけることができる。困ったことは必ずといっていいほど起こるのだから、人に頼る術があるといいよな、安心できるよな、と思う。
だから、英語ができたら、外国に行きやすくなるだろうな、と思うのだ。
したいこと② 外国にルーツを持つ人など、日本語より英語の方が使いやすい人に会ったときに、会話をしたい気持ちが少しある。
日本で暮らす中でも、英語が使えたらいいな、という場面はあるはずである。
何か経験があったかな、と考えると、大学生のときの出来事を思い出した。
大学1年生のとき、大学祭でおばけ屋敷のおばけ役をした。そうしたら、小学生くらいの男の子がやってきた。その子は怖くなったようで、途中退室をしたがっていたように思う。その子が何か、英語で、恐怖を言葉にしていたのを覚えている。
そのときのわたしは、英語で怖がっていることを、ちょっとおもしろく思った。今考えたら、人が話している言葉が自分とちがうことをおかしく思うというのは、視野が狭かったな、と思う。(わたしたちの住む町の、「わたしたち」とは、自分が思っているほど同質な存在ではないのだ。いろんな人がいるのだ。わたしはしばしばそのことを忘れてしまうけど、「いろんな人がいることっていいことだな」って思いたいなあ、という気持ちがある。)また同時に、外国語話者の人も来てくれたことで、多様な人がこのおばけ屋敷に興味をもってくれたように思えて、そのことが誇らしかったような気もする。
細かい話を忘れてしまったし、そもそもその時のわたしはおばけなのだから、何も話さなくていい立場ではあった。しかし、もしわたしが少しでも英語が話せたら、「出口はあちらですよ」とか何とか、おばけ風のテイストは残したままでも、その子を案内できたかもしれないなと思うのだ。
まとめると、困ってる人に話しかけるために、英語が使えたらいいなという話だ。またそれは同時に、「困っている人を助けたい」的な一方向的な話ではなくて、いろんな人と話してその人のことを少し知りたいな(教えてもらいたいな)という双方向のやりとりを想定した話だ。
(ほんとうにしたいのかどうかはいったん置いておく。わたしはもっとめんどうくさがりな人間だ。近しい友人と仲良くできたらそれでいいとも思っている。それでも、わたしの中の理性的な部分は、ほんとうにそれ(「いろんな人と話してその人のことを少し知りたいな(教えてもらいたいな)という双方向のやりとり」)を想定しているのだ。)
なんか長くなっちゃった!
したいこと③ 英語のニュースを見たり、新聞を読んだりできたらかっこいいなとは思う。
これができたらかっこいい。「かっこいい」だなんて、動機として薄いなと思うけれどこれもいったん置いておく。
読めるもの、見られるものが増えるってすごいよなあと思う。英語ができたらそれが確実に増える。すごいなあ。世界が広がるってこういうことか、て思いそうだ。
おわりに
「英語を自由に使えたらしたいこと?特にないな…。」と思いながら書きはじめたのだけれど。意外とあった!
したいことを発見できたから、書いてよかったな。おわります。
段ボール箱を抱えたわたしの部屋
今週のお題「わたしの部屋」
わたしの部屋には、21箱の段ボール箱が積まれている。
先月実家に帰ってきたのだ。
大学院を出て、就職したが、その仕事は自分にはハード過ぎた。
こんなの一生続けられない。続けたくない。
もっと自分のペースで働き、自分のペースで暮らしていきたい。
そう思ったら、いてもたってもいられず、2年で退職した。
絶対に、自分にとって幸せな人生にするのだ。
自分にとっての幸せを、絶対に諦めないのだ。
これだけは決めている。
仕事をやめたことを、後悔しない。
絶対に楽しく暮らしてやるのだ。
しかし先ほど、今年1年暮らしていくには100万円必要だとわかった。
実家暮らしで家賃不要でも、それだけかかるらしい。
(車を持っているので、そのお金が30万円くらい含まれているが。)
今持っているお金は、40万円。
今は働いていない。希望する職種があり、そのパートに応募を続けている。
2つ落ちた。今は3つ目の面接待ち。
3つ目は受かりたいな~~。
受かりたいな~~。
そんな状態の今日この頃である。
わたしが今すべきことは、
①資格取得のための勉強
②面接に万全の状態で挑む
③部屋の段ボール箱を片付ける
④家事(洗濯、料理、掃除)をする
かな・・・・・・。
そんなこんなで、「わたしの部屋」は今、段ボール箱を抱えているのであった。